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下妻物語
下妻物語下妻物語は、嶽本野ばら氏の「下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」という小説を原作にした2004年の映画。

話の内容も流れもそれほど大きいものではないが、登場人物の性格の外れ方と、多様な映像技法よる場面処理が上手い具合にマッチして、90分しっかり見せてくれるものになっている。
何も考えずに楽しめるので、娯楽映画としてとても成功している作品だ。
自分の好きな事を仕事にできるという事がどれだけ幸せな事か、という見方はしない方が良いと思う。

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原作ものの映画化に求められる事というのも難しいので、作る側に立って考える。

小説とか漫画とかは基本的には少人数で作るもので、それでも雑誌とか単行本になればそれに関わる人の数はそれなりの数になる。
映画やゲームとなると、直接作る人の数だけでも膨大で、間接的に触れる人となればもう凄い事になり、億単位の巨大プロジェクトな訳だ。
こうなると、1つの作品そのものに意味はそれほどなくなって、作るという全体の作業が一人歩きし始める。

原作を元に映画なり何なりを作るとなると、ファンの人たちが喜ぶから有志が作っている、という事は全くない。
映画を作る事でその原作そのものやキャラクターグッズなどの派生商品を販売したり、はたまた広報のテレビ出演や出演者のアピール、広告を打つ事で広告媒体そのものにも人の目は向けられたりする、巨大な商売だ。

もちろん、作られたものの質が良ければ、消費者は満足して新しいものを要求するので、それに越した事はないのだが、派生商品が原作に沿ったものである必要はなく、極論すれば原作と同じ名前であれば他はどうだって良い。

今では映像の製作にコンピューターが使えるので、文字媒体の原作に忠実に作る事も比較的簡単になったが、それはハリー・ポッターとか指輪物語のような映像になるという事なので、とてつもない資金と人員が必要になる。
そこはそのプロジェクト、目指す顧客層の大きさによるものが大きい。

下妻物語の場合は原作より映画が圧倒的にメジャーらしい。
派生商品もほとんどなく、つまりそれだけ大きくないプロジェクトだったのだが、そう考えるとやっぱり良い出来だったと言える訳だ。

僕らは見る側受け取る側だから、原作者が作ったものを大切に思ってしまう所があるのだが、映像だって製作現場の人たちの労力や思惑が込められているとすれば、それは別個の作品だと見るのが自然だ。
現場も原作のために作っている訳ではなく、自分たちの生活のために作っているのだから。
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